
はじめに
こんばんは、マークです。本日は憲法の人権における人権の限界について考えていきます。
その中でも本日は公共の福祉についてまとめていきたいと思います。令和7年の予備試験の短答に出題されていますし、思い出そうとしても各説がどのような説だったのか、記憶が曖昧。何度やってもなんか忘れてるっていう感じでしたので再度自分なりにまとめてみました。概念的な分類なのでわかりづらいところはありますが、振り返ってみるとまあこういう感じの構造だったのだとなんとなく理解できるようになりました。
条文構造と基本理解
1.12条後段:国民は人権を「公共の福祉のために」利用する責任があるとされる。
2.13条後段:国民の生命・自由および幸福追求に対する権利の尊重には「公共の福祉に反しない限り」という留保が付されている。
3.22条1項、29条2項において再度「公共の福祉」による制約があることが宣言されている。
短答式で問われるポイント
さて人権は基本認められるものなのであるが、人権の限界という観点で「公共の福祉」による人権の制約がある。
「公共の福祉」という文言は憲法12.13.22.29条に謳われている。
では「公共の福祉」ってなんだよっていう所が議論されてきた経緯あり。
大きく分けると今までの説と新たな有力説がある。 その説についての構造が分かってますかっていう質問がされるのだ。そして基本問われるのは今までの説についての事が大半。
それは判例が今までの説を根拠にしているからである。
では説について見てみよう。
三つの説があり、判例、通説は3つ目の説となる。 それぞれの説の内容は以下の通りである。
三つの説(①~③)
①一元的外在制約説。
~公共の福祉というものは人権の外にあって、それが全ての人権に対して効力を持つ(対象となる人権はすべての人権になる)という概念である。よって人権については12.13条を意味ある人権ととらえ、22.29条は意味をなさないと考える。(ようわからんけどそういう概念らしい)
【批判】この説に対する批判としては公共の福祉が外在すると捉えるので時の政府とか多数派によってこれも公共の福祉だ。だから人権を制約します。という形で人権制約が肯定されやすくなるじゃんっていう批判がされることになる。(法律による人権制限が容易になるとも表現されたりします。)
②内在外在二元的制約説
~①への批判があったことから外在的制約となる「公共の福祉」が作用する場面を経済的自由権(22.29条)と社会権(25.28条)に限定しようよという説が主張された。これが内在外在二元的制約説だ。
元々それぞれの人権は内在的に相互を牽制する機能があるのだが、「公共の福祉」は経済的自由と社会権のみに対して働くのだという説になる。
この説は12.13条は訓示的・倫理的規定に過ぎず、22-1.29-2条こそが重要な規定と考える事になる。
【批判】この説への批判としては人権の分類が相対的にもかかわらず、経済的自由権、社会権、その他一般の人権という形に分類できるという前提がおかしい。
また13条を単なる倫理規定ととらえてしまっては、13条後段を根拠に新しい人権を認めることができなくなる(だって単なる倫理規定なのでしょ。プライバシーなんて保障しなくてもいいじゃんってなる)。
③一元的内在制約説
~②への批判があったことにより生まれてきたのがこの説である。
「公共の福祉」とは全ての人権に内在し、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理とするという見解である。
人権を制約するのは国ではなく、他の個人の人権なのだ。
これが現在の通説である。
全ての人権は「公共の福祉」による制約に服するという点では一元外在説と類似。
しかし外在ではなく、他者の人権との調整の必要からくる内在的制約だと考えていく。この点は内在外在二元説に類似。
★ここからがなんだか難しいところなのだが、内在的制約である「公共の福祉」は㋐自由国家的公共の福祉と㋑社会国家的公共の福祉という2つの側面を有していると考えていく。なんで?と思うのだが、テキスト等には書かれていない。まあ憲法学者を目指すわけでもないので深追いは禁物であるが、ちょっと腹落ちしなかったので少しネット検索。
~憲法学説の歴史的変遷の中で、憲法典の文言に適合しつつ、多様な人権の性質や現代社会の要請に対応する必要があったからということらしい。
憲法典の「公共の福祉」既定の統一解釈の要請、
自由権と社会権の性質の違いへの対応(国家からの干渉を排除する自由権、国家による積極的な給付や配慮を求める社会権(生存権)、中間の経済的自由権等多様な人権があるがその性質によって制約の程度や目的が異なる)
その人権の性質に応じて制約の程度が異なることを説明するために自由国家的公共の福祉と社会国家的公共の福祉という2つの側面を取り入れたということになったらしい。
~なんとなく腹落ちできた。なるほど、なるほど。
あとは具体的な判断基準の明確化の試みらしい。2つの側面を区別することで、自由権には厳格な審査基準、経済的自由には比較的緩やかな審査基準を適用する等、権利の性質に応じた具体的な判断枠組みを示すことが可能になったとのこと。
~ちなみにそれぞれ具体例としては
㋐生命・身体の安全を守るため → ピストルの製造・販売を制限する
㋑小さな個人商店を経営する者の生活を守る → 大手スーパーの新規出店を制限する
最近の有力説
参考までに最近の有力説についても少し書いておきます。
一元内在制約説は人権の制約は他者の人権と矛盾・衝突する場合だけだと人権制約に対する強力な歯止めをしようとしている。
しかしながら今日、他人の人権と矛盾・衝突とまではいかないが、人権制約の必要性が認められるものがある。
例1)町の美観維持のため、広告を出す自由を制限
規制は正当とされうるが、町の美観維持は他者の人権とはいえない。
例2)未成年者の政治活動の自由に対する制約のような本人の保護を目的とする人権制約(パターナリズム)は他者の人権保護のための制約とはいえず、一元内在説からは導きだせない。
結論として「公共の福祉」には
他者との人権の調整、社会全体の利益、本人の利益
を含めますよという考え方になる。これが最近の有力説。
基礎となる判例
判例は特になく、学者間での説の争いとなります。
学習のポイント
a、b二つの文章が並んでいて、bはaの批判になっているかどうか といって問題が出題される。それぞれの説について公共の福祉が内在しているのか外在しているのか、各説は公共の福祉がどの人権を制約していて、どの人権を意味ある人権として見ているのか、どういう批判が可能なのかというところを押さえておけば大丈夫と思う。為念で新しい有力説あたりもみておいて損はない。

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