はじめに
こんばんは、マークです。本日は責任の中で問われることがある「原因において自由な行為」について検討していきます。では、はじめます。
問題と意義
AがBを刺殺。通常であれば殺人罪の構成要件に該当。しかし刺した時点でAが飲酒による重度の酩酊状態で心神喪失状態(もしくは心神耗弱)だった場合、Aに責任能力が認められず、犯罪は成立しない(もしくは心神耗弱のとくは限定責任能力として刑が減軽される)。しかし心神喪失となった飲酒が責任能力のある状態でのAの自由意思決定によるものであった場合、同じ結論をとっていたのでは国民感情反に反するし、法益保護の観点からも問題がある。よってこのような事象を逃さないようにどう縛りをかけていくのかというのが問題。
原因において自由な行為~ある違法行為が責任無能力等の状態もしくは限定責任能力ある状態で行われた時であっても、その責任無能力(もしくは限定責任能力)の状態が行為者の責任能力ある状態における行為によってみずから招いたものであるときは、当該違法行為に対し、完全な責任を問うことができるとする法理。
原因行為:飲酒等、責任無能力等の状態を招く原因となった行為
結果行為:責任無能力の状態でなされた違法行為
理論根拠
☆この太字の説2つと次項の限定責任能力の場合が短答で聞かれることがある。注意しよう。
・本来は行為・責任能力の同時存在が原則。
・間接正犯類似説・原因行為説(かつての通説)(≒構成要件モデル):原因において自由な行為を『責任無能力となった自分自身を「道具」として利用する場合と』と考える。⇒利用行為こそが実行行為⇒「原因行為=実行行為」の時点では責任能力の欠如はないので、同時存在の原則が完全に満たされる。
批判~原因行為の段階で未遂犯が成立することになる。あまりにも早すぎではないか。また限定責任能力(心神耗弱)の状態で犯罪を行ったときは、道具とは言えない(本人にまだ意識が少しある)ので原因において自由な行為を認めることはできないのではないか。
・同時存在の原則を修正した説・結果行為説(修正説、今日の有力説)(≒責任モデル):結果行為が実行行為と考える。実行時には責任能力はないが、責任非難は違法な行為をした最終的な「意思決定」に向けられる。結果行為が責任能力ある状態で意思決定したものの実現過程にほかならないといえるのであれば、実行行為時に責任能力がなくても、完全な責任を問うことができると解するものである。
批判~責任能力と実行行為との同時存在を不要とするのは責任主義に反する。
・二元説・因果関係責任連関説:~というの説もあるが、時間があれば調べてみてね。
限定責任能力の場合(=心神耗弱 ≠ 心神喪失)の場合
行為者が限定責任能力の状態で犯行を行ったときに「原因において自由な行為」の法理を適用できるかが問題となる。犯行時点で行為者に意識が少しでも残っているので、道具として不完全、二重の実行行為であるとか、39条2項との衝突することなどから、間接正犯類似説からは適用できないとされる。一方、修正説からは、結果行為が責任能力ある状態でした意思決定の実現過程といえさえすれば適用できると解する。
故意犯だったら
・原因において自由な行為の法理適用の要件:修正説にたったとして、意思決定の実現過程にほかならないといえなければならない。具体的には①原因行為と結果行為および結果との間に因果関係が必要で、②原因行為から結果行為にかけて故意が連続していることが必要。~もし原因行為時に故意がなかったのであれば連続が認められない。
・部分的な故意の連続:部分的に故意の連続が認められるのであればその限度で原因において自由な行為の法理を適用してもOK。
・二重の故意の要否:結果についての故意は必要。自己が心神喪失・心神耗弱になることについての故意は必要か?→不要。(結果行為が自由な意思決定に基づいていれば完全な責任非難が可能だから)
過失犯
責任無能力等に陥らないようにすることを結果回避義務として構成すれば、特に問題なく犯罪が成立する。
行為の途中から心神喪失・心神耗弱になった
時系列で考える。
例えば、暴行の故意⇒殺人の故意⇒心神喪失⇒相手の死亡 となれば殺人の故意が連続していたといえる。
他方、①暴行の故意⇒心神喪失⇒殺人の故意⇒相手の死亡 という形においては暴行の限度で故意の連続が認められるにとどまる。
論証(短答だけど載せときます)
・Aが酒を飲んで心神喪失状態に陥り、Bを刺殺した事案
1.Aの行為は殺人罪(199条)の構成要件に該当する。また、違法性阻却事由は存しない。しかしAは心神喪失状態であったことから、責任能力が認められず、殺人罪は成立しないのが原則である(39条1項)。
2.もっとも、常にそのように解しては国民の法感情に反し、また、法益保護の点からも問題がある。そこで完全な責任を問うための法律構成が問題となる。
(1)そもそも、責任非難は違法な行為をなす最終的な意思決定に対し向けられるものである。そこで、実行行為たる結果行為が、責任能力のある状態でされた意思決定の実現過程にほかならないといえる場合には、なお完全な責任を問うことができると解する。そしてかかる場合といえるためには、①原因行為と結果行為および結果との間に因果関係があること、および、②故意犯については、原因行為から結果行為にかけて故意が連続していることが必要であると解する。
(2)では、さらに、自己が心神喪失に陥ることについての故意(二重の故意)まで有するか。この点については、結果行為が自由な意思決定に基づいていさえすれば完全な責任非難することが可能であると解されるので不要と解する。
実際の問題
・自分を飲酒により心神喪失状態に陥れて刺殺行為をした人物に対する AとBの二人の会話形式
1.A~自己の責任能力のない状態を道具として利用する…飲酒行為が殺人の実行行為 ~ここでAは構成要件モデルであると判断しなければならない。
2.B~でもそう考えると心神耗弱者(限定的能力)が犯行を起こすと、刑を減軽せざるを得ず、心神喪失状態(これは喪失者で、完全な刑事責任が認められる)で殺害した場合との不均衡が起こるのでは?
3.ここにはまる意見は?…Aから、心神耗弱者だって同じように適用できるのだという反論。
4.B~Aの説では酔って寝てしまったらどうなるの?殺人未遂が成立してしまうのでは?
5.A~ここに入る反論は?~作為犯についてはそう見えるかもしれないが、過失犯や不作為犯のように実行行為が弱い場合は飲酒行為に構成要件該当性を認めても問題ない。Bの意見は実行行為時に心神喪失になっていての完全に責任を負わせられるのはおかしいのではないか?…(ここでBが責任モデルであることが判明)
6.Bの反論~実行行為を心神喪失時の行為と認識しつつ、それより前の責任能力のあった時の意思態度について非難可能性が認められれば、行為全体に完全な責任を負わせても構わない。
7.Aの反論~責任能力は実行時に存在すべきと。
まとめ
代表的な説をしっかりと覚えておくことが必要。テキストを読んでいてもなんだか難しいネーミングがいっぱい出てくるのでかみ砕いて理解しておかないと、ごちゃごちゃになってしまう。またアプローチの方法によって○○説と言ってみたり、〇〇モデルと言ってみたりと統一感がない感じがする。頑張りましょう。



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